1997-05-28 第140回国会 衆議院 厚生委員会 第30号
○横田政府委員 児童養護施設が設立されましたのは、昭和二十二年、児童福祉法が制定されて以降、その当時、いわゆる戦災孤児等がたくさんいた時代でございまして、こういった保護者のいない児童を保護するというようなことでスタートしたわけでありますけれども、現時点におきましては、保護者がいる児童、片親または両親がいるということでは九割ぐらいを占めるようになっておりまして、単に児童を入所させて保護するというだけでなくて
○横田政府委員 児童養護施設が設立されましたのは、昭和二十二年、児童福祉法が制定されて以降、その当時、いわゆる戦災孤児等がたくさんいた時代でございまして、こういった保護者のいない児童を保護するというようなことでスタートしたわけでありますけれども、現時点におきましては、保護者がいる児童、片親または両親がいるということでは九割ぐらいを占めるようになっておりまして、単に児童を入所させて保護するというだけでなくて
そういう意味では、私どもの対策の中で戦災孤児等の対策、障害児、障害を持っておられますお子様の対策に加えまして、すべての児童を対策の基本に据えてやってまいったわけでございまして、この中では、今お話にございました子供の遊び場という観点では、例えば児童館、児童遊園等の整備を進めてきたわけでございます。
本件の概要を申しますと、戦時中に海軍艦政本部が千葉県三里塚に修練道場として設営中であつた未完成の建物を利用して、終戦直後に磯川義隆が東京都民生局より委託を受けて戦災孤児等を収容して聖十字学園という社会事業を営んでいたのでありますが、更に磯川義隆は渡辺敬吉と協議して前記の衛生試験所の焼跡を借受け又は払下を受けて聖十字学園東京分園を設置し、広く社会事業を行う計画を立てたのでありまして、その構想は昭和二十二年十二月十七日付